『再演A。』ストーリー・解釈。


思うコト。かなり独断ですよぅ。あくまでも自分の“思うコト”

【SKグループ『再演A。』〜キミのなかのボクのこと〜】
このA。というのは北島セイジの懺悔の物語、だと思う。

主人公は誠であったとしても。
私はSKGの芝居を観る時はいつも『ハムさんの考えるハッピーエンド』について考える。
すがの公さんの描く物語はいろんな形でハッピーエンドとなっている、と思う。
一見すると今回はわかりやすく『誠が現実の薫に再び出会えた』という事になるし、事実トークショーの時もそう言っていたが、私にとってこの物語のハッピーエンドはあくまで『北島の罪が赦された』ことにあるのだと思う。

北島セイジもまた多重人格であった。
彼は異常なまでに誠を愛し執着し依存した。それは立場上、あきらかな弱者である者への残酷な行いでしかないのだけれど、その中にも確かな純粋な愛があったのかも知れない。
その一片の愛が彼に“明仁”という人格を生み出させたのではないだろうか?

 そう考えると“明仁”は誠を救済するために生まれた存在であると同時に、北島セイジを救済するために生まれたとも言える。

薫に会いに行った場面で聞こえた「ハレルヤコーラス」、聖書のテープ。
芝居では『お昼の終わった合図の放送』とされていたが、これはもしかしたら4人に聞こえる幻だったのではないか。(現に,最初のシーンでは薫にしか聞こえないことになっている)
誠、晶、薫、そして明仁=セイジ。彼らはそれぞれの罪を償うためにそれを欲したのではないだろうか。

『あきらめんぞ、俺は。』“明仁”が薫の手紙を読んで発したこの言葉には、切なる純粋な想いが確かに汲み取る事ができると思う。

『罪を赦す者は赦され、赦さない者は残ります。汝、隣人を愛せよ。』

…結局、北島セイジは“明仁”によって真実を証明され閉鎖病棟に入ることになる。依然として“明仁”であったセイジは訳がわからず憤慨する。
しかし、それこそが彼、北島セイジが望んだ事であり、明仁の役目だった。
誠と薫の再会は明仁の隣人、セイジの罪を赦す事になったのかもしれない。

私はそこに、すがの公、ハムさんのハッピーエンドを捉える。

確かに今回、精神病を扱うことは難しいことなのかもしれない。
でもすがのさんはそれがテーマじゃない。全ては4年前愛犬に感じた事がテーマ。死ぬ前に想像したA。を死ぬこと=ないことを知ったときに書き直した『再演A。』である。
決して軽々しく扱ったのではない、彼のこれに対する思い、主張があったのだ。
これは、挑戦でも無神経でも、ない。
現に、北島の原稿の描写が的確で素晴らしい。それが無神経で出来るだろうか?

また、レズ問題だが、これは彼にとってはそれに関する偏見がなさすぎるあまりの表現だと感じる。 意識が強い人こそ、疑問を感じる。
彼にはそれは変わりないことなのだと思う。根本的な違いを感じる。
また、あれは歪んだ世界。彼らの言動にはいろんな残酷性を含むのではないか。やはり全て必然なのだ。

4人の役者はそれぞれ本当に素晴らしく、彼ら以外のA。はありえないし、彼ら以上のA。はない。

そして、なんといっても、これは物語としてだけでなく「芝居」として素晴らしい。
『生で芝居を観る事』の価値を、初めて感じた作品だった。
この芝居に出会えて良かった。強く、強く思った。
★その他感想へ★

[PR]eOH:S19@ttW